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すずなりの南かおるのブログです


by 南 かおる ( 心理セラピスト・ボディセラピスト・断食指導)
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悟り、スピリチュアル、心理セラピー、の使い方


今日のすずなり
やっと雨が降ってくれた。梅雨入りですね♡
こちらは昨日収穫した赤玉ねぎちゃん!↓

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今日は、めちゃくちゃマニアックな話(笑)。


悟り、スピリチュアル、心理セラピーの使い方について。


まずは、その前に、「悟り」や「癒し」の私なりの定義を書いておかないと、

話が通じないと思うので、そこから書いていきたいと思います。



私は生きづらさを抱えて20代、30代、生きてきましたが、

その時に、「悟り」と「スピリチュアル」と「心理セラピー」の、

三つをお勉強して、

三方向から「わたし」という現象を分析して、

なかなか解消しなかった苦しみを解決してきました。




「悟り」だけでは無理で、

「スピリチュアル」だけでも無理で、

「心理セラピー」だけでも、私の望んでいるところには到達できませんでした。




苦しんでいる人は、この三つがごっちゃになってる人が多いように思います。



・・・



まずは、「悟り」ということをどのように私が捉えているかという説明をします。


「悟り」とは、簡単に言うと「解脱」です。

「自我」からの解放のことを言います。

「自我」とは、「全ての存在と切り離されている個別の存在」と認識しているプログラミングのことです。


「自分」が「主体」であって、「自分」の外に見えるものを「客体」と認識するプログラミングのことを「自我」と私は呼んでいます。



よく、「自我が強い」とか、わがままなや自分勝手な人のことを言いますが、

ちょっとそれは本来の意味を履き違えているというか、

私なりの言葉で言い換えるならば、



「自我」というプログラミングが強くなればなるほど、

「自分」という個別の人間が存在していると錯覚するので、

錯覚の「分離した自分」を守るために「人を蹴落としたり」「人より優位に立とう」として、

「わがまま」や「自分さえ良ければいい」という発想が出るよね、



という言い方になります。



悟りの観点から言うと、

「全体から切り離された【個】の自分と言う存在はない」

という事になります。


これを「解脱」といい、昔の修行僧の方は、解脱を目指して修行していたり、

解脱することが「苦しみの根本解決」だとしていました。

(苦しみの原因は「自分」という切り離された存在だからです。切り離されている存在はないと知ることが、苦しみの終わりと考えられていました)




仏教では、「空即是色」「色即是空」という有名な言葉があります。

空(くう)すなわち色(しき)。

色(しき)すなわち空(くう)。




空(くう)とは万物全て、神羅万象を生み出すエネルギーのことです。

目に見えないものなので空っぽの空(くう)と表現されていますが、

空虚な何もないものではありません。

形になる前の、エネルギー(クォンタムフィールド)のことです。



色(しき)とは、この目に見えていて触れる「物質界」のことを含む、全ての現象のことです。心も、思考も、目に見えないエネルギーも含め、「ある」と思っているもののことです。




空(くう)はすなわち色(しき)ですよ。
色(しき)はすなわち空(くう)ですよ。



そう悟ったのがお釈迦様でした。




よく、言われているのが、お釈迦様は「この世は空(くう)だと悟った」という言い方です。

すなわち、「この現象界は【ない】」と見抜いたのがお釈迦様だと。




で、この状態になることを解脱だと。


で、解脱すると、どうなるの??っていうことですが、

これが、一切の苦しみからの「自由」だというのです。

あるように見えているものが、実は「ない」のだとしたら。

苦しみの原因である孤独感も、怒りも、失望も。

その孤独や、怒りや、失望の対象である人や、世界や、物語でさえも。

「ない」のが真実だったら。

それを感じている「自分」さえも「錯覚」だったとしたら・・・??



これが、本当の「自由」。

究極の「自由」。






これが、私が解釈している「悟り」の定義です。




簡単に言うと、「悟る」とは「究極の囚われのない自由」な状態のことです。







・・・




で、スピリチュアルは、

前世だったり、天使という存在だったり、守護霊様だったり、

目に見えない存在のお話です。

アセンションして5次元に上昇する・・・とか。

こういう、確かめようのない物語(ストーリー)の話を、

スピリチュアルの範疇に入ると思っています。


(悟りの概念では、ストーリーさえも「ない」とされています)





・・・


で、心理セラピーは、

「苦しい」という感覚、フィーリング、自体を扱います。

(悟りでは、それ自体も「ない」と言います)

いくら、悟りの目線で、「全ては空(くう)」と言われても、

「今」「ここ」で、現われている「自我」にプログラミングされているプログラムが作動して、

人が怖かったり、

孤独を感じていたり、

疎外感を感じていたり、

執着や、

独占欲、

いろんなプログラミングが、作動して、

それ自体が「不快」な感覚なので、苦しみという症状として私たちの中で暴れます。






心理セラピーでは、安心してその感情をリリースできる環境を整え、

プログラミングの中からその感情を起動させてしまうアプリを、

アンインストールしていく作業があります。





もちろん、そんなスマホはPCのように、ワンクリックでアンインストールできるわけではないので、

簡単に書いてますが、難しい場合も沢山あります。






・・・・




こうやって、「苦しみ」というものに対してのアプローチが、

「悟り」と「スピリチュアル」と「心理セラピー」では違うのです。




◎「悟り」→そもそも苦しみを感じている「自分」自体が「空(くう)」であると見抜こう。

◎「スピリチュアル」→3次元から5次元にアセンションしよう!天使や神様の力を借りて。

◎「心理セラピー」→苦しいという感情にアクセスして、肉体からリリースする。






こんなに短略的に書いていいものだろうか(笑)。

グダグダ説明すれば、めちゃくちゃ長くなってしまうので、

こんな感じでまとめて見ました。





私は、どれが優れているとか、どれは間違いとかは言ってません。

それぞれの良さや、

それぞれの効果はあると思っているからです。




でも、長年スピリチュアルを学んだり、ヒーラーさんのセッションを受けているのに、

全く「苦しい」という感情から抜け出せてない人をみたり、




自分の苦しみを「悟る」ことで一発逆転のようになくそう!と、修行ばかりしているのに、

逆に「悟り」に「囚われる」ことで、自由から離れていく人がいたり、




心理セラピーに頼りすぎて、自分の感情ばかり見て、

「自分」という存在を強固にしてそれこそ究極の自由から離れていき、

自我の満足止まり、自我の安心の場作りに終始していたり。





なので、色んな方向から、「自分」という現象を「立体的」に見ることが必要だと、

私は思っています。




・・・・





私の実話をすると、

20代のころしんどかった時、スピリチュアルや自己啓発の本に頼りました。

その本を読んでいるときだけ救われた気持ちになりました。

自分を守ってくれている天使の存在や、

私は肉体ではなく、霊的存在なのだーーと知れることは、

苦しみが和らぐ感じが一瞬でも感じられたからです。




ですが、それはモルヒネのように、効果が薄れてくると、

もっと癒しを、もっと癒しを・・・。

と、スピリチュアル本や、啓発本をむさぼり、止まるところを知りません。

原因は、安心感を得たいという「渇望感」が心の中にあるからです。





そのあと、悟りという概念に出会います。

もともと仏教が好きな私は、

般若心経も暗記していたし、その読解本も何冊も持っていました。

「この世は空(くう)である」という言葉に痺れ、

私の中の何かが「それ知っているよ!」と叫んでいました。

それが真実だと、私の中の何かが知っていても、

目の前の嫌なことからは逃れられず、怒りや憎しみは消えず、

空(くう)であることではプログラミングが消えることはないのも分かりました。






そして、心理セラピーに出会い、

直接、その苦しみのプログラムに触れて、リリース(アンインストール)する方法を学び、

プログラムを抱えている身体自体も、健康になったし、

自分の人生に起こる現象自体も変わりました。

楽に生きれること、毎日安心して心が平和であること、

心の中にあった「渇望感」が癒えたことで、


「悟り」にも「スピリチュアル」にも興味が一旦なくなりました。





でも、その「渇望感」がなくなったことが、

実は悟りでいう「解脱」や、

スピリチュアルでいう「3次元から5次元へアセンション」

みたいなことが起こるための土台になっているんじゃないかと思うのです。




でね、この「わたし」という絶対「いる!」と信じてやまない強固な観念が、

緩み始めた時に、

自分の中に生じて来る「苦しい」という感覚も、

「自分」のものではない(だって自分がいないから)と腑に落ちてくるときがくるのです。




なので、その痛みを無視せずに、積極的に癒そうと思えるようになってきます。





簡単にいうと、

人間のプログラミンとして「不快」を避けて「快」を得たいというものがあります。

結局、悟りも、スピリチュアルも、心理セラピーも、

「不快」から逃げて、「快」を得るための道具にしかすぎないのです。





このプログラミングは、肉体を持っている以上、

誰にも備わっているものです。

なのでそこから逃れようとすることを諦めて、

自分の中の痛み(不快)苦しみ(不快)としっかり対峙して、

そのプログラミングを消去(弱める)ことに腹を括ったほうが、

悟りやスピリチュアルで突破しようとするよりも、

よっぽど近道だと感じています。





長くなりましたが。

先ほども言いましたが、心理セラピーで心の痛み(不快)にアプローチすることで、

悟りやスピリチュアルの理解も、実は進んで行くんですよね。



なので、私にとってはどれも大切なもの。


でも、順番を間違うと、

学びも理解も、深まらないので、もったいないなーーーと思っています。





5次元、アセンションと言いながら、

全然心の中は癒されてない様に見えるスピリチュアルリーダーや、



悟りを追いかけながら、悟りに囚われて苦しそうな人や、

そういうのを沢山見てきたので。



まずは、心の痛みのプログラミングに心理セラピーでしっかりアプローチしてみましょう。

心理セラピーというのは、その様に研究されてきて発展してきたものです。




そこに人間が本来持つべき、

健康な自我や、

健全な人との境界線や、

安心感や、自己受容感が、まずは土台にしっかりとなければ、



スピリチュアルな学びも、

悟りへ向かいたい気持ちも、


土台がグラグラなら、大きく羽ばたけないのではないかと、

自分の体験から思っています😊




※健全な人との境界線があるからこそ、安心して、人と深く繋がれます。
境界線を作ると「ワンネス(全ては一つ)」になれないと思っている人がいる様ですが、
実は逆です。
しっかり境界線を作ることで、「全ては一つ」という感覚がもっと実感として感じられる様になってきます。








今日はマニアックな内容になりましたが、

何事も、しっかりとその「機能」を知り、賢く使うことが大切ですね❣️




ではでは😊






インゲンんのお花が咲いたよ♡↓
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すずなりは今日も平和🕊✨✨



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南かおる(プロフィール)


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by kaoru-hasegawa | 2020-06-11 09:27 | 日々の日記 | Comments(0)