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「ここからここまでが愛」
私たちは無意識にこういう「区分」した感覚を持っています。
この範囲が広くなれば広くなるほど、
真理に近づいています。
親に愛されなかったストーリーを持ち運んでいる人はとても多いですが、
「(お母さん、お父さんが)私を大切にしてくれたら愛、してくれなかったら愛じゃない」
と思っている人は、
「私を大切にしてくれる」という経験にこだわってしまう。
(愛されたい人は)
「親に愛されたかった・・・」と。
その限定している「愛」に入るものごとの範囲を広げていくと、
「おむつを代えてくれて、学校にも行かせてくれて、育ててくれた」
(自分がしてほしかったようにしてくれたわけじゃないけど)
ここが範囲に入れば、
そこにも「愛」があることが理解できる。
「生まれてきたこと、命を授かったことが愛」
(それは両親の愛もだし、命を授かるという神や宇宙の承諾があったからこその命と思ったときにそこに愛がある)
と、ここが範囲に入れば、
そこにも「愛」があることが理解できる。
全部、視点の問題。
全てが完璧に起こって、
苦しみも完璧に起こって、
喜びも完璧に起こって、
呼吸や排泄や思考や感情も、完璧に起こって、
というところに視点を置くと、
「ことが起こっていること」事態が愛であることがわかってくる。
「すべては愛ですよ」
という、
スピリチュアルの本では聞きあきた言葉だけれど、
この言葉は真実。
ただ、「愛」を「こういう状態が愛なんだ」と限定してしまうことで、
この言葉は嘘に聞こえてくる。
愛っていうのは、ある状態を指し示しているという視点でとらえることもできるけれど、
もっと、抽象度を上げていくと、
この人生を経験していること、経験できること事態が、
宇宙や神や、両親の愛なしにして、起こり得ないということが分かります。
全てが愛。
愛しかない。
この苦しみさえ、
完璧に起こっていて、
この苦しみさえ、愛。
ここで指し示している愛は、限定のない愛。
存在事態が愛。
存在できることの奇跡が愛。
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長谷川 郁 (はせがわ かおる)
酵素断食・浄化療法
京都の古民家で、宿泊しながら美味しい酵素ジュースで酵素断食を行い、
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