怒りについての誤解
こんにちは、長谷川郁です。
皆さん、ご自身の感情とうまく付き合えていますか?
私は、理性で自分の感情を押さえ込む人間だったので、
正しい感情や、健康な心の状態というものがあることすら分からなくて、
「こうなくてはいけない」でがんじがらめでした。
その一つに、「怒りは良くない(怒ることは悪いこと)」という思い込みがありました。
幼少期の頃、両親がケンカばかりして、怒鳴り声や泣き声が聞こえてくる家で育ったからです。
父親が母に向けている感情、母が父に向けている感情が「怒り」だと思っていたので、
「怒りは人を傷付けるもの。怒りは人を不快にし、不幸にするもの。」という思い込みがありました。
後に、それが怒りではなく、「恐怖」であったことが、ビリーフチェンジを学んで知ることになるのですが・・・。
しかし、そんな風に、今も、何の疑いも持たずに、
「怒りはよくない」と信じている人がいると思います。
本を読めば、
怒りは良くないって、ダライラマ14世の本にも、書いてあります。
スピリチュアル系の本にも、人類が進化していくには怒りを浄化しなくてはいけないって書いてあります。
怒りは自分も周りも破壊に導く……等の言葉が様々な本の文章に目にします。
雑誌でも、テレビでも、当たり前のように、人類の共通の観念のように、流れている言葉です。
でも、本当に、怒りの感情は良くないのでしょうか。
実は、怒りを使えるようになると、
体の代謝も上がり、
人生や目標にも、積極的に関わったり、前進していく力(パワー)の様なものが湧いてくるんです。
人間の生命エネルギーと、怒りは関係しています。
ですので、怒りを封印していると、段々無気力にもなり、やる気や生きていく力も減少してきます。
まず、感情について、考えてみましょうか。
人間の持っている感情は、まずは「快」「不快」から発達するのをご存じですか?
赤ちゃんは、産まれてから、泣いたり笑ったりして、
周りの人に、自分の感情を伝えます。
その時にまず、「快」「不快」の二つの感情しか発達していないので、
この二つを使って、自分の今の状態を知らせます。
段々発達してくると、不快の感情が「怒り」「悲しみ」「恐怖」に発達して別れ、
不快な感情のもっと細かい表現ができるようになります。
人間の「本当の(本物の感情)」は、この「快」である、「喜び」という感情と、
不快を表す「怒り」「悲しみ」「恐怖」の4つになります。
それ以外の感情は、ニセモノの感情と言われる「代理感情」という分類に入ります。
例えば、「罪悪感」「不安」「寂しさ」です。
代理感情は全部で約40程もあります。
私たちは日常で、この代理感情をよく使いませんか?
「来週のプレゼンで失敗しないか不安」とか、
「自分の好きな事をすると、罪悪感が出る」とか、
そういう形で頻繁に使いますよね。
この、代理感情はニセモノの感情なので、
「怒り」「悲しみ」「恐怖」のうちの、どれかに(もしくは組み合わせ)属します。
本物の感情を使わないと、ストレスは消費されないので(感情は解放されないので)、
代理感情は使ってもスッキリしないで、何だかモヤモヤしたものが残ったり、問題が解決せず、
未完了の状態で留まります。
また、本物の感情の4つ、「喜び」「怒り」「悲しみ」「恐怖」の中で代理することもあります。
例えば、腹が立っているのに涙が出るとか、恐いとキレて怒ってしまう、とかです。
では、なぜ人間は、本物の感情を使わないで、代理感情を使うのでしょう。
続きは明日・・・・♪
↑りっぱにすっかり大人の顔になったお福さん。