他人の悲しみを負うことは、人を弱くします。
他人の悲しみを負うことは、他人の罪を負うことと同じです。
正当な理由があるから、自分自身の悲しみは、自分を強くする力があります。
それは、いつでもパワフルです。
しかし、他人の悲しみは、あなたに何も与えません。
誰かが泣いて、他の人がそれに同情して泣くとき、
自分の悲しみのために泣いている人だけが強くなります。
他の人(同情して泣いている人)は、弱くなります。
~バート・ヘリンガー「愛の法則」より~
昔は私も、人の悲しい話を聞いては、
同じ気持ちになって、よく泣いていたものです。
涙もろかった時期も若かりし時にありました。
その時は、他人の悲しい気持ちに共感して、一緒に泣ける、優しい人間だと勘違いしてましたけど(笑)。
よくよく、自分の心を観察してると解ってくるのですが、
その時、もらい泣きしてる時の自分の心理状態は、
他人の悲しみをわかってあげてる…のではなく、
自分の中の「イメージ」を見て、泣いているのです。
目の前の人の悲しんでいる姿、悲しんでいる内容(例えば失恋、ペットが死んだ…など)、
に、自分の中の同じような経験を重ねて、自分の中のイメージを掘り起こして、
そこに対して、泣いているのです。
それは、もらい泣き、同情して泣く、という行為が、目の前の人に何も力を与えないということを証明しています。
自分のために泣くとき、その人は強くなります。
他人の悲しみを負うことは、その人を弱くします。
セラピーの場面では、よくこのような心理状態をクライアント様の中に見ますが、
「お母さんがかわいそう、お父さんがかわいそう」は、
その人を幸せに力強くする、心理状態ではありません。
それは、他人の悲しみを負うことで、自分がその人と「繋がっていたい」という欲求にすぎません。
そこから、離れたときに、真のその方の力が戻って来ます。