人は成長する前に、荒れます。
わたしの人生を振り返ってみても、自分が、新しいステージに上がるときは、必ずその前に荒れます。
荒れるっていうのは、
気持ちが悶々したり、
イライラしたり、
悩みが大きくなったり、
わかっちゃいるのに、そうなれない自分を責めたり。
表面意識では、自分に何が起こっているのか分からないんだけれど、
水面下では、着々と、自分が変化していくことの準備がなされています。
断食をしていくと、表面では、自分が変わっていることは「知覚」できなくても、
確実に、血液はきれいになって、細胞が変わりますから、何かしらの変化はあるのです。
水面下では、確実に、潜在意識がきれいになって、浄化されています。
でも、表面では、気分が荒れるので、自分では、良くなっていることが信じられなかったりします。
これが、内面の抵抗なんです。
体から浄化を起こせば、必ず、心にも影響が及び、何かしらの変化が起こっているのですが(良い変化)、
まず、表面意識に起こるのは「抵抗」の場合が多いです。
そこで、思考は、何をしているかというと、
「古い自分を捨てることへの抵抗」です。
自分が、今よりも、楽になったり、今よりも幸せを感じられる状態になろうとするとき、
今までと同じ考え方や、価値観は、手放さなくてはいけないのです。
人生が苦しみに満ちている人は、「苦しみに満ちるような考え方や価値観」を、選んでいるので、その心の状態が、人生に映し出されている・・・・ただ、それだけなんです。
幸せになったり、豊かになりたかったら、「幸せや、豊かな考え方や価値観」を、選べばいいのです。
その心が、人生に映し出されて、そして、それを享受します。
「幸せになりたい!人生変えたい!」
そう思っていても、いざ、自分が慣れ親しんできた考え方や、価値観を、手放せ・・・といわれると、抵抗しますよね、人間って。
しんどかったし、大変だったけど、今まで、その価値観とともに生きてきたわけだから、なんだか今までの人生を否定されたような気になったり、今までの自分を否定しなきゃ、新しい自分になれないような気がしたり。
そんなこんなで、「良くなりたい!でも!!!」みたいに、自分の中で葛藤があったり、悶々と考えたり、自分が嫌いになったり、「荒れ」ます(笑)。
そして、荒れた後に、
「ポンッ」と、自分のステージが上がって、全然悩んでたことが、何だったの?と思うくらい、視野も広く、心も広く、賢く(人間的に)なった自分になります。
これの繰り返しのような気がします。
酵素断食・浄化療法でお越しのお客様も、荒れる人、います。
でも、私は経験者なので、「安心して苦しんでください」と、祈るのみです(^^)。
もしくは、ビリーフチェンジ・セッションを受けに来ていただくことで、
より、その時の苦しみを、早く、脱することのお手伝いはできます。
そういう時こそ、断食で、そのエネルギーを浄化してくださいと、言いたいですが、
荒れてるときほど、断食なんてできないですよね~(^^;)。
イライラして、暴飲暴食したり、
落ち込んで、甘いものに走ったり・・・
荒れているときはしんどいんですけど、そのあと、古い自分を捨て、
新しい価値観を受け入れた自分に成長し、そして、その価値観に見合った人生が展開され始めます。
(実は、今現在も、自分の価値観に見合った現実を生きています。例え不幸であっても・・・)
この変化の段階は、死ぬまで続きます(変化し続けることを受け入れた人だけにですけど)。
一段階、階段を上がって、
「あ~、ずいぶん生きるのが楽になった♪」
と思っても、また、それで一生悩まなかったり、苦しまなかったりするわけではありません。
自分の心が、懐が、大きくなったら、なった自分に、また、その時の自分に合った悩みや苦しみは訪れます。
ただ、昔悩んでいたような、ちっちゃい悩みを、もう、悩みとも思わない自分になっていますが。
悩みの質が、もっと、変わってくるって感じでしょうか。
で、また、悶々、荒れて、そして、ポンッと、ステージアップします。
この、「ポンッ」が、あるときに、わたしの中で、何が起こっているかというと、
「執着を手放す」
ということが起こっています。
ので、すなわち、苦しみから脱出する術は、
「執着を手放す」
ことに他なりません。
ブッダ様、さすが。それを、何千年も前に、お悟りあそばされた。
あなたが、一番執着していることって、何ですか?
わたしは、一番大きなブレークスルーが起こった時は、街で働いていた時の店長していた「仕事」に執着している自分を発見し、これを手放すのは、死ぬほど苦しかったけれど(わたしのアイデンティティーだったわけですから)、手放した時に、自分の人生のステージがアップしました。
手放すと(断捨離)、自由が手に入るので、苦しみがなくなり、楽に生きれるようになるのです。
で、ステージがアップするって、どういうことかというと、もう、前の自分ではなくなって、引き寄せるものも、選ぶものも、感じ方も、価値観も、変わるっていうことです。
どんどん、手放していった先には、
「誰でもないわたし」が存在し、「自由」があります。
荒れるのは、自我が抵抗するんですよね。
「自分」という感覚を、強く感じていたいのが「自我」の役割ですから、
執着を手放して、
「誰でもない、自由なわたし」
になってしまうことは、イコール、「自我」の不在であって、それこそが、ニルヴァーナ(悟りの境地)であるわけですから。
ブッダがお悟りあそばされたのは、この「無我(自我が無い)」の境地。
わたしたちには無縁と思われていた、この境地も、実は、いつも私たちとともに、ずっと、生まれてこのかた、一時もなくしたことはありません。
ただ、「思考(自我)」がうるさすぎて、見えないだけなんです。
そして、荒れては、成長し、荒れては、成長し・・・・・を繰り返して、少しずつ、近づいていくのだと思います。
今回、GWが終わって、3日間の断食をしたのですが、わたしの中でもまた、「ポンッ」がありまして、
とっても、今までにない、さわやかな感覚になれています。
断食って、本当に、楽にブレークスルーしてくれるな~♪って(その分、荒れてる時はしんどいのですけどね)。
自分で、どうしていいのか分からない人は、とりあえず、浄化、浄化。
ひたすら、断食を繰り返してみてください。
頭で理解するよりも、早く、自分の探していたモノの意味が分かってきますよ(^^)。