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すずなりの長谷川郁のブログです


by 長谷川 郁 ( 心理セラピスト・ボディセラピスト・断食指導
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質問へのお答え

☆7月京都出張セラピーのお知らせ

7月18日(土)、19日(日)、21(月・祝)(←枠増やしました!!)
に京都市内に長谷川郁が
出張ビリーフチェンジ・セラピーをします。
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のんのんさんが一昨日のblog「非二元論、今流行ってるみたいですね」に、
コメントをくださったので、
返事を書いていたら長くなったので、
blogでお返事させていただきます。

のんのんさんがコメントに「非二元論」について質問を下さったことがきっかけで、
一昨日のblogを書くきっかけになりました。


以下、のんのんさんが一昨日のblogにくださったコメントです。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




郁さんも27歳の時に覚醒体験(でいいんですかね?)されてたんですね!
でも、苦しみは消えなかった。。。
というところがビリーフセラピーに向かうことにもつながったと・・・。


人間て起きて(覚醒して)いても、疲れたらうたた寝もするし、
夜になったら寝て夢も見ますよね。

苦しみって起きていてもつい見てしまう夢のようなものかもしれませんね。

つい過去の記憶が出てきたり、目の前にあるものに反応にしすぎてしまったり。。。
それも非二元でいうと起こることが起きているだけなんですよね。

ゲシュタルトの祈りは、私は私、あなたはあなた、っていいますけど、
マヤ文明のインケラッッチ(私はあなた)とは真逆の思想なんですかね?
郁さんはどう思われますか?




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のんのんさん、ご質問ありがとうございます。

うまく伝えられるか分かりませんが(言語能力があまりないので)、
思うままに書いてみますね(^-^)。



覚醒体験って、
何か特別な気がするんですが。

覚醒体験って何なのかを説明します。



私たちって、大人になると、四六時中思考しているんですね、
無意識に。
それは止められないテープレコーダーの様に、
エンドレスに頭に流れています。


起きている間、
目の前の現実と繋がるよりも、
頭の中のおしゃべり、思考、イメージと繋がっています。

そのおしゃべり、思考、イメージは、
「自分について」のことがほとんどなので、
「自分」と「自分以外」が常に分離されています。


その思考や、イメージを通じて見ている世界を、
「妄想」と言ったり、「マーヤ」と言ったりします。
心理セラピーの世界では「ビリーフ(思い込み)」と言います。



そして、人間は、この自分が繋がっているのが、
真実や現実ではなく、頭の中のイメージや思考、おしゃべりとつながり続けていて、
それが「真実・現実」と思い込んで生きています。


なので、人の数だけの色眼鏡があって、
人の数だけ見える世界があるのです。



で、この世界と自分を分けている思考が亡くなった時に、
全てはひとつであることを体感する、この体験を、
「覚醒体験」と、世の中の人が言っていることなんです。

別に天使が見えたり、
宇宙に意識が飛んで行ったりはしません(笑)。



で、その体験をした後も、
人間である以上、
「思考」ってなくなりませんよね。

記憶もなくならないし。



私たちをワンネス(全てはひとつ)の世界から、
分離の世界に留めてしまうのは「思考」のせいなんです。


思考の中でも色んな思考があるんですが、
「エゴ」の思考は、
常に「自分」について考えています。

その思考が消えた時に、
全てはひとつということが感覚で理解できるんです。



覚醒経験をして、一瞬にして「あぁ、この世の本当の姿ってこうなんだ」と、
大きな気付きがあったとしても、
それもまた、記憶になって、過去のものになります。


その「悟った自分の記憶」を持ち運んでいる、
「分離意識を持っている自分」に戻るわけです。


その状態(ワンネス意識)に常に居ようと思ったら、
「思考」が湧かない状態をずっと持ち続けないと無理なんです。


体験したから、頭では知っていても、
体感としてその状態を維持し続けることは、
難しいんです。



大和田さんがYouTubeでも言っている通り、
「思考」が「分離」を生んでいて、

「思考」が消えた時に「分離」の世界は幻想と気づき、
本当は行為だけが残り、自分は消え、自分がしているのではなく、
させられている(神によって)ので、
起こることだけが起こっているという真実が分かる境地になります。



それを体験して知っていても、
相変わらず、自分は覚醒体験をする前と同じ人間なんです。



覚醒体験は、本当に、しゃっくりのようなものです。

神様の気まぐれの様に、
ふいにやってきて、ふいに去って行きます。


ただ、それを体験してしまった人は、
その後、幻想の世界にどっぷりと戻ってしまっても、
頭のどこかでは、「この苦しみは幻想なんだ」と知っています。
知っているのと、無くなるのとは、違うんですよね。


わたしは、
その苦しみは蓄積された負の感情が、
何度も何度も解放を望んで、
自分の人生に顔を出すのだということがわかり、
ならば解放していくことで、
あの経験した至福の世界に、感覚として近づくのではないかと思って、
心理セラピーを勉強したり、
セラピーを受けるようになったんです。


一度か、何度か、覚醒体験をしても、
言葉では立派なことを話しても、
悟りやワンネスについて語っていても、


でも、それは知識であって、
その人の感覚は、そこにあるのか、ないのかは、
見て、接していたら、分かりますよね。


覚醒体験なんて、
そんなものなんです。



安部敏郎さんも言っていますが、
「悟後の修行」と言いますが、
その世界を見てしまった人は、
魔境に入ってしまう人だっているのです。


「わたしは知っている人、その他の人は知らない人」
「自分は特別な経験をしたので優れている」
等と思い、傲慢になる人。


結局、悟りがエゴの餌になり、
「わたしはすごい」と、分離意識が肥大する人もいるんです。



本当にその世界を見て、
深くわかっている人は、謙虚になっていきます。


自分がすごいから覚醒体験したわけではなく、
それは神のいたずらのように、しゃっくりのように、
因果なしに急にその人に起こり、
そして去って行きます。



本当に非二元の世界が分かった人は、
神の愛によって、全てが起こっていると言うことが分かると、
謙虚になっていくことで、
本当にその世界の住人になっていきます。
(今度は神のいたずらではなく)


私たちを苦しめる「思考」は、
過去の記憶から来ています。

それは悟っても記憶がなくならないので、
覚醒体験をしても、苦しみはなくなりません。

なので、その過去の苦しみの元になっているビリーフ自体を書き換えることで、
苦しみの感情を解放し、同じ苦しみを人生で再生しなくて良いように、
心理セラピーを利用する方法もあるんです。



非二元が分かった人は、
「苦しみは幻想である」と分かっているので、
その苦しみを十分味わうこともできるかもしれません。


それもよしですし、

この苦しいのを終わらせるために、
なにかできることがあるなら、してみよう。

でもいいのです。


どっちだって良いのです。


思考があるかぎり、
解放されていない不快感情があるかぎり、

私たちは苦しみの体験は続きます。


それを、どう扱うかは、
どっちでもいいのです。


どのみち、苦しんでいる人も、
本当は悟っているし、救われているのですから。



そして、死んだら、その苦しみのストーリーも、
一緒に体験者と共に消えてしまいます。


大切なのは、非二元論を知った人が、
「この世は夢みたいなもの」と知った後に、
どう生きるか・・・なんだと思います。
非二元論を知っても、人生は続いて行きます。
この世が夢だと知っても、
自分が居ると言う感覚は、無くなりはしません。


どうせ夢なら、思いきって好きなこと、やって生きたい!
人に気を使わずに、好きなこと言って、わがまま言って、
嫌なことは嫌って言ってやる!


そんな風に思ったとしても、
ビリーフは消えてなければ、
また今までの習慣に戻るだけで、
非二元論がただの知識になってしまうんです。


「この世は幻想って知ってるのにな・・・」

ションボリ...(-д-;)


みたいな。


だから、大切なのは、
覚醒体験ではなくて、感情の解放なんです。

解放していけば、非二元の世界が感覚で分かる様になってきます。




ゲシュタルトの祈りは、私は私、あなたはあなた、っていいますけど、
マヤ文明のインケラッッチ(私はあなた)とは真逆の思想なんですかね?
郁さんはどう思われますか?


↑この質問に対しての私なりの考えです。

ゲシュタルトの祈りを知らない人に
紹介します。


「わたしはわたし、あなたはあなた。
わたしはわたしの為に生きる。
あなたはあなたの為に生きる。
わたしはあなたを喜ばせるために、この世に生きているわけではない。
そしてまたあなたも、私を喜ばせるためにこの世にいるわけではない。
わたしはわたし、あなたはあなた。
でも偶然がわたしたちを出会わせるならそれは素敵なことだ。
たとえ出会えないとしても、それもまた同じように素敵なことだ。」



これは、自己犠牲をして生きている人や、
誰かと心理的に依存や融合しているために、
人と境界線が引けないことで不健全な心理状態で苦しんでしまう人・・・などに
心理セラピーの中でも使う言葉です。

健全な境界線を引く時に
この感覚をクライアントに理解してもらう時に
言葉に出して言ってもらうことがあります。



逆説ですが、
「全てはひとつ」ということが分かると、
逆に安心して分離もできるんです。
(どうせ繋がっていることは真実として揺るぎがないので、
だからこそ、安心して、分離、自立ができるわけです)




人に依存しすぎたり、
人をコントロールしたくなったり、
束縛したり、
自己犠牲することで人を幸せにしたり

そういう心理状態って、

根底に

「私は切り離された孤独な存在である」という淋しさや不安があるから、

自分の外にある誰かやものを、
コントロールしたくなるんです。



逆に、
「わたしが全てで、全てがわたしで、
あなたはわたしで、わたしがあなた」

という感覚がある人は、
安心して境界線を引くこともできるんです。


境界線を引いたとしても、
「孤独じゃない何か」を手にした人が、
安心して境界線を引けるんですね。


うまく言えませんが、


境界線を引いていても、
人と愛し合って、融合しあって、
あなたをわたしのように思う・・・

この感覚を持つことができます。


「あなたはわたし」の感覚は、
人間の存在の根底に流れている真実。


ですが、

それをこの世に持ち込むと、
人に自分を傷付けることを許してしまったり、
自分を犠牲にして苦しい思いをすることも出来ます。


そこを解決するのが心理セラピーなので、


非二元の世界と、
心理セラピーが扱う世界は、

比べるものではなく、
土俵が違うのです。


心理セラピーで扱う世界は、
もっと、人間臭いところですね(笑)。



なので、

答えとしては、

同時に起こっていて、
同時に大切なことで、

どっちが合っているとか、
間違っているというのではないという。





きちんと、「ゲシュタルトの祈り」の様に、
人と健全な境界線を持つと、
人にイライラしたり、コントロールしたり、
自分の人生の責任を人に押し付けたりせずに、
生きれるようになりますよね。


非二元的な視点でモノを言うと、

「そもそも、そのイライラも、人をコントロールしたくなる感情も、
自分の人生を人に押しつけたくなる気持ちも、
実体の無いストーリーの中で、ただ起きていることなんですよ。

それを個人意識が自分に起こっていると思っているだけで、
それは全体の中でただ起こることが起こっているだけなんです。

それは良いも悪いもなく、ただその様に事が起こっているわけで、
その本人が起こしているのではない、全体の現れとしてそうなっている。

そして、その苦しみを感じている本人も、本当はいないんです。
わたしという個別な人間もいないんです。
事は神の中でエネルギーの表現として、起こっては消えているだけなんです。」


と、いう説明になります。


ね?


交わらないでしょ?


これは、別々のことなので、
「真逆の思想ですか?」の答えは、答えられないんです。


その比べる対象が一直線上にあれば、
答えられるんですが。

あえて言えば、
非二元論は、全てを包括して、統合された世界で、
そして、「空(くう)」という、全てを生みだすエネルギーであり、
全て無い(空・から)である宇宙エネルギーの話しなので、
ゲシュタルトの祈り的な思想も、包括している世界と言えます。




のんのんさん、すみません、
こんな回答ですが、書いてみました(^-^)。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



長谷川 郁 (はせがわ かおる)
私が担当させていただきます(^^)♪

プロフィール


   酵素断食・浄化療法

 京都の古民家で、宿泊しながら美味しい酵素ジュースで酵素断食を行い、
 オイルマッサージ
を毎日受けられます。
 希望の方には、ビリーフチェンジセラピーを行います。

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Commented by のんのん at 2015-04-26 00:29 x
ありがとうございました!!
私の拙い誤字脱字の入りまくりな質問を、まさか記事で取り上げてくださるとは思ってもみず、大変有難う御座いました(恐縮です!!)
なるほど、郁さんの記事を読んで、人には理解に至るに段階があるということを感じました。現実に苦しんでいる人に、いきなり『あなたはいない、すべてはひとつ』なんて言っても混乱しますよね^^;そういう段階では心理セラピーのようなものから入るほうがわかりやすいのかもしれませんね。
親切丁寧な御回答、有難う御座いました。
Commented by kaoru-hasegawa at 2015-04-26 14:50
のんのんさん、私に非二元論について自分の考えを書かせてくださって有難うございます。きっかけがないと、この記事は書かなかったと思います。でも、いつもこのような文章は頭の中で流れていました。もう、こういうメッセージが世の中に届けて行っても良い時代になってきたようにも思います(^O^)/。ありがとうございました!
by kaoru-hasegawa | 2015-04-25 17:00 | 日々の日記 | Comments(2)