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すずなりの長谷川郁のブログです


by 長谷川 郁 ( 心理セラピスト・ボディセラピスト・断食指導
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非二元論、今流行っているみたいですね。

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今流行ってるんですね、非二元論。


皆さん、今日はちょっとぶっ飛んだ話をするので、
ついてこれない方は、途中でスルーしてください(笑)。


今日は、前々から書いてみたかった、
「非二元論」について。


皆さん、「非二元論」って知っています?


今、精神世界、スピリチュアルと言われている世界で、
この思想が流行っているみたいです。


なぜなら、色んなところで、この
「非二元論」という言葉を聞くからです。


で、この「非二元論」って、どういうことを言っているのかと言うと、


「全てはひとつ(二つと分けられないもの)」と言っているのです。


スピリチュアルに精通している人なら、
もう聞き飽きた人もいるかも知れないし、
初めての人もいるかもしれませんが、

「ワンネス」という言葉で言い替える事もできますね。



そして、これは「全てはひとつ」なのであれば、
「私という個人はいない」という考えに発展していく訳です。


全ては分け隔てができないひとつのものの現れである…という思想です。
この、「ひとつのもの」が、「神」と言われているエネルギーのことです。
(神様はこすべての現れです。髭を生やしたおじいちゃんではありません笑)


ここからは、思考では理解できないので、
わからなくて良いのですが、

「すべてが神の現れ」であるということは、
「私も、あなたも、犬も猫も、この椅子も、草花も、目に見えない空気であったとしても」
同じひとつの現れなんです。


ここに「分離意識」という、
自分とその他…と、認識する意識が芽生えることで、
別々のモノと、認識しているだけなんですね(←この「分離意識をエゴと言います」)。



で、世の中で「悟った」とか、「覚醒体験をした」と言っている人は、


一瞬、何かのそれこそ石に躓く様に、
急にしゃっくりが始まる様に、


予期せぬタイミングでこの「分離意識(エゴ)」が、
ゴソッと抜け落ちる(または消滅する)瞬間を体験した人です。


「分離意識(エゴ)」がなくなると、
そこには「自分と言う個別の人間がこの人生を生きている」という感覚で世界を見るのではなく、
「私という特別な個別意識は元々無かった」
「すべてはひとつのエネルギーの表現であった」ということが分かるんです。


分かるというよりも、「知ってたけど、随分なつかしい、久しぶりな感覚」なのです。


(なぜなら私たちは母の子宮の中で、実質物理的にもひとつでした。生まれてしばらくはその感覚を持ち越しているので、3歳頃の自我(エゴ=分離意識)が芽生えるまでは、半分回りのエネルギーと混ざった感覚で過ごしています。自分の事を分離した一人の人間という意識は、自我の形成過程で養われていきます)



だから、覚醒体験をした人は、何か頭がおかしくなったんじゃないかとは思わないんです。
確信を持って、「私たちはひとつですよ」と、その後表現者になられます。



その一人が私もよくblogで紹介する「安部俊郎さん」です。

そして、先日、blogの読者さんに教えてもらった「大和田奈穂」さんです。


大和田奈穂さんは、読者さんがコメント欄を通じて教えて下さった、
新たに出現した「非二元論」の表現者です。


わたしが何度も紹介した「エックハルト・トール」さんも、
同じ非二元論の表現者です。



スピリチュアルにも、色んなジャンル?がありますが、
この非二元論は、目新しく感じる方もいるかも知れませんが、
日本なら「禅」を通じてこういう思想を知っている人もいるかも知れません。


仏教が好きな人なら、
「般若心経」を通じて、
「色即是空、空即是色」のお経の部分を通じて、
知っていることかも知れません。
(「色=これ」は、実態のない「空」なんだよ、
実態のない「空」は、「色=これ」のことなんだよ)


本当の本当の究極の本当のことなので、
昔からどこの国でも、
語り継がれて来た思想であるとも思います。


「私はいない」と言われて、
びっくらこくと思いますが、


実は私も27歳頃(13年前)に、「分離意識(エゴ)」が、サーーーーッと姿を消し、
全体に溶け込むという体験をしています。


それはそれは、気持ちが良いというもんではないです(笑)。
1週間ほどその至福感は続き、
そしてまた、徐々に分離意識が戻って来て、

「あれは何だったんだろう?」と、
狐につままれた様な、不思議な体験をしました。



そこから、私は、
超物質主義で、目に見えない物は信じないという性格がガラッと変わり、
夢中で目に見えない世界を探求し始めたのです。



だから、最初に安部俊郎さんのblogに出会い、
彼のメッセージに初めて触れた時に、
めっちゃ飛び上がるほど嬉しかったのを覚えています。


「ここに、いた。私と同じ世界を見た人」って。



でもね、その後、どんどん苦しみは大きくなるのです。


あのワンネス体験は本当に気持ちがよく、
いくら安部俊郎さんのblogを読んでも、
世界の覚醒者の本を読んでも、
「そうそう、そうなんだよ!!」と、そのとき満足しても、

あの体験は二度と起こらなかったからです。


分離意識が消えて、すべてのものと一体になっている時は、
「わたし」を認識している「分離意識」は消えているんです。

「わたし」はその時、いないのです。

それが、気持ち良いのです。


でも、私たちって、四六時中、「わたし」のこと、
考えているでしょ。


「わたしの幸せ」
「わたしの将来」
「わたしの人生」
「わたしの不安」


…って。


人の目を気にしている時も、
「わたし」という存在を強烈に意識しますよね。


これが私たちに苦しみを生むんです。

本当は全てはひとつなのに、
そこから分離して、いつも何かに怯えているんです。
うまく出来ないこととか、誰かに嫌われることとか、
人生失敗することとか、成功して手に入れたものを無くさない様にとか…。



この苦しみを終わらせるためには、
二元論「よい、わるい」や、「わたしと、それ以外」
などの世界に生きている限り、
勝ち続けないと安心できる日々は遅れないんです。


非二元論は、「よい、わるい」の無い世界、
「わたしと、それ以外」が無い世界、
その先にある、統合された世界のことを言います。



本当に人が苦しみを終焉させるには、
無いものを得ようとするのではなく、
その向こうに行かなければならないのです。


そして、その向こうに行って、
その後は遊ぶんです(笑)。



よいもわるいも無いし、
失敗も成功も無いんです。

人生に。




そんなお気楽さで人生を遊ぶように生きていくのです。



こんな人、実はいっぱいいます(笑)。



自分が会社員で我慢して支配されながらストレスを溜めて、
エゴが肥大して孤独で一人で自分や社会と戦っていたときは、
そんな人さえ、視野に入って来ませんでしたが、


自分自身がその様に生きれるようになってから、
そんな人、山の麓から頂上が見えなかっただけで、
少しずつ自分も山の上に向けて歩き始めたら、
そんな人がワンサカ居ることがわかりました。



そういう人の中には、
覚醒体験をきっかけに、そうなった人もいれば、
そういうものとは無縁だけれど、仕事や生きることを通じて、
視野が広がって同じ境地に行き着いている人もいます。


共通しているのは、
物事を受け止めるスケールが半端なく大きい。

なぜなら、人生に失敗も成功もなければ、
よいもわるいも無い。
ましてやわたしもいない、
人生は神との共同作業であると、

どこかで分かっているので、
力みがなく、流れに身を任せているんです、そういう人は。


だからこそ、
深刻さとは無縁で、
どんなことが起こっても、起こることが起こっていると、
100%の信頼を持って人生と向き合っています。



いやぁ、ほんとに、そんな人たくさんいるんですよ、
だから、無理じゃないんです、あなたにも。




この二元論、
27歳の覚醒体験の時から、
これだけが唯一の真実であるという確信がわたしにはあったのに、
なぜ、それをあまり発信してこなかったかというと、
物事には段階があると思っているからです。



わたしも、真実がわかったのに、
問題はこの世になくて、すべてが起こることが起こっていると、
「頭」で理解していても、
私たちはエゴとは一生一緒に付き合って行かなければいけないので、
また分離意識が肥大したときに、
苦しいという体験をするからです。


真実に触れても、
苦しみは死ぬまでなくならないのです。


「あ、わかった。この世は神の現れで、わたしと認識しているのは、分離意識のエゴであって、わたしという個別な意識は本当は存在しないんだ。わたしはいないんだ。」と、
わかったとしても、

相変わらず、感情に振り回されたり、
彼氏にフラれたら悲しいし、
自分なんていない方がいいかも…とか、考えるんです、人間って。


でも、その苦しんでいる感情が、
海の表面の波だとして、
波がどんだけ荒れても、
海底が静かで動かない様に、


私たちの本質も、
実は不動の至福が存在しています。





それはね、
どんな人でも共通なんです。



だったら、その荒れ狂う波を、
もうちょっと人生の波乗りできるような、
乗りやすいものにしませんか?


というのが、
心理セラピーなんです。


ビリーフチェンジセラピーなんて、
全ての人は荒れ狂う波の下では至福が存在していて、
だれも実は苦しんでいないし、全ては初めから救われているんです、って言ったって、

嫌なものは嫌なんです。



わたしが、一旦覚醒してから、
もう一度元の苦しみに戻り、
でも、本当はこの苦しみもないんだよなーと、知っていても、
救われなかったから、

海底の静かさに、
表面の波も少しでも合わせられるのが、
海面の波を荒くさせるカルマやビリーフを、
完了させるビリーフチェンジセラピーだったんです。




わたしはいない


それが分かっても、
人に嫌なものは嫌と言えないとしんどいし、
誰かにけなされたら嫌な気持ちになるし、
どうしようもない感情の波に飲まれ、
死を選びそうになって苦しむこともあるし、
罪悪感や自責の念に自分を苦しめることも、

今までの習慣でやってしまうでしょう。



そんなときに、わたしはいないのだから、
と言っても、始まらないのです。



非二元論は究極の真実です。


わたしはそれを知っていても苦しんだ。


だから、いきなり究極の心理を投げるより、
もっと人間じみて、皆さんのお馴染みの付き合いの長い人間の心について、
解き明かし、感情を解き放ち、楽になっていく過程で、
バランスの取れた現実に地に足の着いた、
非二元論が、感覚で分かる様になっていく人が増えて行って欲しいなと感じています。


なので、
長くなりましたが(笑)、

ビリーフというものはそれこそ「よい、わるい」という観念で幼少期に刷り込まれていくものなので、
そのビリーフが外れて行くこと=非二元論が知識ではなく、
感覚で分かる様になる…ということに繋がっていくと思います。



(ビリーフが外れて行くと、よいわるいの判断基準ではなく、自由に選択できるようになるので、
したいか、したくないかで、選べる様になります。)




最後に。

わたしも未だに安部俊郎さんのblogで非二元論の話を読んだりすると、
訳がわからなくなる自分と、あぁ、そうだったよなと、
知ってる自分が二人います。

あなたも、そんな感覚ではないでしょうか。

そして、それでいいのです。

訳が分からないのが、
頭で理解しようとしている自分です。

でも、感覚でどこかで知っているのです。


それでいいと思います。





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長谷川 郁 (はせがわ かおる)
私が担当させていただきます(^^)♪

プロフィール


   酵素断食・浄化療法

 京都の古民家で、宿泊しながら美味しい酵素ジュースで酵素断食を行い、
 オイルマッサージ
を毎日受けられます。
 希望の方には、ビリーフチェンジセラピーを行います。

 心と体のデトックス自分をしっかり見つめる人生を変えたい方は、
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  ☆長谷川郁の担当セラピー →「酵素断食・浄化療法」           
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Commented by のんのん at 2015-04-23 20:20 x
郁さんも27歳の時に覚醒体験(でいいんですかね?)されてたんですね!でも、苦しみは消えなかった。。。というところがビリーフセラピーに向かうことにもつながったと・・・。
人間て起きて(覚醒して)いても、疲れたらうたた寝もするし、夜になったら寝て夢も見ますよね。苦しみって起きていてもつい見てしまう夢のようなものかもしれませんね。
つい過去の記憶が出てきたり、目の前にあるものに反応にしすぎてしまったり。。。それも非二元でいうと起こることが起きているだけなんですよね。
ゲシュタルトの祈りは、私は私、あなたはあなた、っていいますけど、
マヤ文明のインケラッッチ(私はあなた)とは真逆の思想なんですかね?
郁さんはどう思われますか?
by kaoru-hasegawa | 2015-04-23 17:00 | 日々の日記 | Comments(1)