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すずなりの長谷川郁のブログです


by 長谷川 郁 ( 心理セラピスト・ボディセラピスト・断食指導
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完璧?潔癖?に注意

先日投稿した、「瞑想とわたし④」でご紹介させていただいた、
わたしが出会って4年半続けている、瞑想のテクニックの創始者、ボブフィックスさんの日本向けブログ「空から語る」の、「人間であること」というタイトルの投稿の内容を、以下ご紹介します。




・・・・・・・・(紹介したいところだけ抜粋。全文が読んでみたい方は、「人間であること」こちらをクリック)


人間であるということは
60%:40%なのだと、マハリシは言っていました。
60%が善で40%が悪
または60%が悪で、40%が善です。
その範囲を超えると、
もう人間ではなく、天使や悪魔となります。

えええ?
完璧な人というのはいないのですか??
そうです!
わかったでしょう?
60%が善というところで最高なのです。
期待をし過ぎてはいけません。
判断もし過ぎてはいけません。
ただベストを尽くし、失敗を受け入れなさい。
自分の行いを見て
そこから出来る限りのことを学びなさい。


これが実行できたら
素晴らしい人生を生きるようになりますよ。
カルマは師あり、敵ではないのです。
怪物のように見えるかもしれませんが
カルマは姿を変えた仏陀なのです。



・・・(ボブ・フィックス「人間であること」より抜粋)


昔、この瞑想に出会う前、断食を始める前は、
人生がカルマ(摩擦)だらけで、いつもわたしはびくびくしていました。

人生にくつろぐなんてことは、意味が分からないし、そんなのは、老後にしかやってこないだろうと思い込んでいました。

いつもわたしの頭の中を占める考えは、「先が分からない不安」と「自分一人でこの困難だらけの人生を渡っていけるだろうか」という怖さがあり、良いことが起こっても、いつ悪いことに襲われるかも知れないという緊張感で、自分の身を固めていました。

良きことは続かない。
良きことが起こって、調子に乗っていたら、いつか落とされる。

そんな考えがわたしのベースにあり、
常にそこのフィーリングとつながってしまうのです。

彼氏が出来た、やった~!!
と手放しで喜べず、「嫌われないために、もっと完璧な女性にならなきゃ」
と、やることリストが山積みで、

店長をしていたときは、
店の売り上げ目標が達成できた~!!
と手放しで喜べず、「来月のノルマはどうやって達成させようか」
と、来月一ヶ月間のやることリストを山積みにして、

こうやって、
息つく暇も無く、走り続けていました。


その根底には、不安と怖れがあり、
その不安と怖れを取り除きたいがために、より完璧に、より高潔に、自分を高めて行くしかないと思っていました。


そもそも、その考え自体が、「不足」から来ていることなんていうのは、気付いてもいませんでしたが・・・。


「私は不足している」


人間的にも、
女性としても、
社会人としても、
金銭的にも、
頭脳としても、


不足していて、十分じゃない、全然足りない。


この考えが、渇望へ導き、
更に完璧に、更に高潔に、更に素晴らしい人間像をイメージして、
そこにわたしを駆り立て続けていたのです。

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この考えに、疑う余地も無く。
世の中の人のほとんどは、こういう考え方がベースにあります。


渇望はさらなる渇望を生み、決して満たされることなく、足りないところばかりにフォーカスが行き、
決して満たされている部分があることへの感謝の気持ちから、人生がスタートするわけではないのです。





わたしが瞑想を始めて、気が付いたことは、
その現実を作っているのも、自分の心であること。
自分の心が、自分の中の「足りない!」という欠乏感に結びついているので、
人生の中で、「足りないもの」にばかり目線が行って、「ほら、私はやっぱり足りない。だからもっと完璧になろう」と、自分を駆り立てるのです。


瞑想を始めて、ハートが育ってくるに従って、同じ人生を享受していても、フォーカスを当てる場所が違ってきました。
「わたしは生きている。ありがたい。」
そうやって、今あるもの、今満たされているものに、目線が行くようになってから、
人生の中で、「ほら、私は満たされている。必要なものはここにある」と、言える様になりました。


同じ環境であっても、目線が変わることで、見える世界が違ってきますし、受取るものが変わって来ます。

そうなると、不安や恐怖に突き動かされることがなくなったんです。



「じゃあ、もっと、やりたいコト、自分の本当にチャレンジしたいことをやってみたら?」


そんな魂の導きがあって、
カルマだらけの第一の人生を終焉させ、ダルマ(自然の法)に乗った、第二の人生をスタートさせることが出来たのだと思います。


ボブさんがおっしゃっている様に、
どれだけ最高でも、60%が善、40%が悪だとすると、
完璧主義も、どこかで頭打ちするんですよね。

どれだけ完璧にと思っても、60%が最高。


なら、完璧でない自分を責めずに、
失敗を恐れずに、失敗から何かを学べばいいんです。


人間も、「ああ満たされている」・・・と60%で感じていても、
40%で「もっとこんな風になりたい」という欲望があって、
それに突き動かされて、人間は進化していくのだと思います。





完璧になれない。

それが、人間の進化するために生まれてきた宿命だと思います。

ですから、今あなたの満たされ具合が、たった10%であったとしても、
そこにフォーカスを当てることで、「満たされている」というフィーリングが、
あなたの人生に「満たされた」現実を具現化させていきます。


その「満たされた」感覚を土台として、
「もっと、こうなりたい」とか「こうしたい」ということにチャレンジしていくのです。


「満たされていない」から「こうなりたい」は、
「やっぱりわたしは満たされない」を具現化させてしまうでしょう。



ここのポイント、めちゃ大事ですよ。






そう、
安心感、安全、失敗しても、自分が何かをなくす訳ではない・・・という気持ちがないと、
怖れがベースにあってチャレンジしても、その怖れを確認する結果を招くだけなのです。





ボブさんの言葉を借りれば、
「そこからも、何かを学べばいい」ということになりますが、
同じ失敗を繰り返しているならば、根本的に何かが間違っています。


失敗から学べていないことになります。



なぜ失敗から学べないのでしょう?


それはわたしたちの認識の幅や深さが変わっていないからです。
失敗することで、違う角度から物事や自分を見てみる。
失敗することで、違う解釈をしてみる。

人間は、動物と違って、高度な脳を発達させてきました。

経験は、認識の幅を変え、認識できる深さを変えてくれるきっかけでもあるのです。


これが、「カルマは師あり、敵ではないのです。」という意味です。

















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by kaoru-hasegawa | 2014-07-06 18:30 | 日々の日記 | Comments(0)